少し集中し始めた

0-3日目の午前中まで、アーナパーナでひたすら鼻に息が通る感覚を観察し続けました。「心は人里に押し入って暴れまわる野生の牛や像のように野放し状態です。イライラして落ち着きがありません」という講話がありました。本当にその通りでした。心は自分なのだからもちろん制御できていると思っていましたが、全くそうではなかったのです。心は勝手に色々な場所へ行ってしまい、そして反応していました。

しかし4日目になると、集中する時間が少し増えてきました。戒律を守っていること、何も情報が入らないこと(嫌なニュースも目にしません)、ひたすら観察していることで表面的な浄化がされているんだと感じました。と、かっこいいこと言っていますが、ただ単にもう考えることがなくなったというか、何も新しい情報が入ってこないし、脳にエサを与えていないから何も浮かばなくなったんだと思います。でもこれが心が浄化されているらしいのです。

ヴィパッサナー伝授!

4日目の午後はいよいよヴィパッサナーの修行法を教えてもらいます。私は予備知識も無く来ていたので大変楽しみでした。どんなすごいことが待っているんだろうかと。

しかしそんな期待はすぐに打ち消されました。指導は、頭の上から足先までの感覚を観察し続けるというものでした。正直にいってしまうと「あれっ、それだけ?」と思ってしまいました。ヴィパッサナー瞑想法とは、身体の感覚を平静に観察し、感覚を客観的に感じ取ることを学ぶ。それこそが苦しみを解消し真の解放へと導く。何か特別なものを体験するためのものではなく、ただ心の平静さを育てるためのもので、感覚を観察することを通して心の平静さを育てるものだそうです。しかしまだ理解することができず、まだ何かあるだろうと期待してしまう自分がいました。

まず最初は頭から順に感覚を感じるトレーニングを行います。でも最初は感覚を感じることさえも出来ません。でもがっかりしてはいけません。ついつい「あー出来ない。。」って思ってしまいがちですが(すごい思ってしまいました)、感じられなくても微笑んで次に進みます(微笑んでって可愛いですよね。本当にそう指導があるのですよ)。

感覚を感じないからとがっかりしたり、感覚をほしがったりすると、心のバランスを崩してしまうそうです。心のバランスを保ち続ければ心は鋭く繊細になっていくとのこと。

感覚って何?

では感覚とはなんでしょうか。それは身体に感じるすべてのものです。心地よいもの、心地よくないもの、微妙なもの、強いものなど、普通に自然に身体に感じるもの。感じているものをただの肩こりだとか、長い時間座っているからだとか判断をしてはダメで、ただただ客観的に観察しなければなりません。私は左の肩が凝っていて、そこを観察すると「肩凝ってるな、痛いな、なんで凝ってるんだろう。痛くてイヤだな」と考えてしまいます。これがいつもの習慣です。でもそれをしてはいけなくて、感覚の全てを受け入れて観察しなければいけないのです。

書いていると、とにかく”感覚を観察”って言葉が何度も出てきますが、とにかくこれだけなんですよね、本当に。

手に負えない心と空虚感

そして5日目にもなれば慣れて瞑想も楽々と入れるようになって、何かいいことが起こるのではないかなどと期待しておりましたが、この3日間が私にとっては一番大変でした。瞑想によって内なるやすらぎを見出せるどころか、心が乱れて手に負えないことのほうが多く、ひとり動揺していました。朝から晩まで変わらない時間割、何も情報が入らないことへの不安(不満もあり)、なかなか瞑想に入れず、このまま何の変化もなく10日間が過ぎていくのではないかという不安。。

ある日の休み時間、外は晴れ、風も無く暖かくて本当に気持ちのいい時間を過ごしているはずなのに、心の中は空っぽでとてつもない空虚感を感じたときがありました。なんともいえない寂しさ。あの感覚は覚えていますが言葉で書くのは難しい。とにかくいつもと違う心の状態を受け入れられなかったのです。

苦しみがまた出てきた・・

瞑想中のこと。私はもともと音にとても敏感で、社会人として働いているときも、このことでとても悩んでいました。上司の大きな独り言(これはね、本当に大きかったんですよ。。)、昔働いていた小さな事務所では、隣のおじさんのキーボードをものすごい力でパーンと叩く音。どうしたら気にならなくなるのかとネットで検索したりしていました。同じことで悩んでいる人はいましたが解決策はなく、本当に悩んでいました。仕事に集中できないのです。

だけど、確かにうるさいのだけど、普通の人は「うん、うるさいよねー」で終わるのです。私みたいにイライラして仕事が手に付かなくなったりはしないのです。この違いは何だろう。これは私の性格であり、もう持っているものだから治らないのか。。だから私は会社で働くことに向いていないんだ、という結論に達したのです。

その悪い癖が、瞑想中に出てきました。それなりに瞑想に入れるときも出てきたのですが、今度は大きな咳をされるとビックリしてしまうのです。そうすると現実に戻ってきてしまい、また集中から始めなければならないのですが、なかなか出来ない → イライラする → 余計入れない → 落ち込む → もっと入れない → 瞑想時間終了。

こんなことを繰り返していたら、本当に疲弊してしまいました。。そして、毎日9時以降に指導者に質問をすることができる時間があるのですが、6日目にして初めて質問することにしました。指導者の方もその音にはビックリするとのこと。私だけではないんだと少し安心しました。でも反応をしない。ビックリしても反応をせず平静に戻すのですと。うーん、わかったようなわからないような感じでその日は終わりました。

次の日、やっぱりダメです。平静を保つってどういうこと?と根本的なことがわからなくなりました。そして1日またイライラ・・。そしてもう一度質問をしてみました。「同じ質問なのですが・・」そして得た答えは、平静さを保って感覚を観察する、です。そうか、私は知らない間に勝手に感覚に反応して、それに心が惑わされて踊らされていたのです。なんと理解が遅いんでしょうか。

それがわかったので、早速次の日やってみました。音にビックリしました → いつもなら「うー」って反応しますが、深い瞑想に入っていなくてもすぐに感覚を観察します → すると鈍いところがあるので観察します。消えます。また生まれます、消えます。これだけです。心に何かが生まれるときそれは身体の感覚を伴うということを理解できた瞬間でした。

やっと・・

8,9日目にしてやっと身体の感覚がはっきりと、そして小刻みにではなく、大きくみていくことができるようになってきました。

私は胸の奥と背中と左の肩、左の目の奥がいつも何かがありました。それをただ観察すると、消えていきます。でもまた次に観察すると生まれています。一瞬一瞬変化して消えて、また生まれてまた変化していきます。その感覚の原因は、環境のせいかもしれないし、座っている姿勢かもしれない、古い病気や身体の弱点が原因かもしれないし、食べたものが原因かもしれない。もしくは、心の奥に埋もれていた条件づけが出てきているのかもしれない。でも原因を探ることはしないで、ただひたすら観察をして平静さを保ち続ける。反応をしなければ苦は生まれない。苦がなければ不幸にならずにすむ。

以上のことが、今回の私なりの理解です。最後の2日間だけでしたが、私なりにそのことを理解し、そして少しだけ体験することができたことにほっとしています。正直7日目までは、このまま何もなく終わったらどうしよう・・って焦っていました。この焦りも渇望だからダメだったのですけどね。

沈黙解禁!

10日目の午後。翌日の外界へ戻る準備として、とうとう沈黙が解禁されました!瞑想ホールでは沈黙は続きますが、食堂では話して良いとのこと。隣に座ったかおりちゃんと話し始めたら興奮しちゃって、そのあとも10人くらいとワイワイ喋っていたら、楽しくて楽しくて笑いっぱなしでした。

そしてその後の瞑想。。(沈黙が終わっても瞑想は帰る日の朝まで続きます)全然ダメ!びっくりしました。あんなに最後のほうは鋭くなっていたのに、脳の興奮が冷めなくてぼやーってしているんです。頭の中でさっきした会話がグルグル回って、そこから次々と思考が飛び、最初来た時に戻っていました。。「あー、私っていつもこんな感じだったんだ」と再認識。

次の瞑想の時間には「これで終わりなんだから、なんとか集中しなきゃ」と超渇望をしてしまい、アーナパーナを一生懸命していたら、頭はそのままなんだけど体だけが動かなくなりました。あれっ、これって金縛り?みたいな状態に(笑)自ら金縛りを起こせる技を身に付けました。最後の最後まで自分に呆れました。

11日目

11日目の朝、最後の瞑想をします。そして食事をしてから、みんなで施設の掃除をしてから帰宅します。残れる人は残って奉仕をすることもできます。

食事の前に携帯が返却されました。電源を入れるのがちょっと怖かったです。10日間スマホをいじらずに過ごしてきて、うーんなんていうのかな、もちろん便利すぎるくらい便利で、必要不可欠だけど、必要のないこともニュースとして入ってきてしまうし、あれば見てしまうし、時間も過ぎてしまうし・・とスマホのあり方を考えたりしてしまいました。でも!そんな考えは次の日には終了し、今ではすっかりスマホ生活に戻っていますけど。

コースを終えて

10日間(前後入れると12日なので11泊ですが)、本当にお疲れさまでしたと自分に言いました。とりあえず脱走しなかったことを褒めたいと思います。

このヴィパッサナーに参加することによって「平静さを保つ」ということを少し身体で体験することができました。

そしてダンマを守るということの大切さを実感。法(ダンマ)については、この体験記では触れませんでしたが、とても大切なことです。これを生活の一部に取り入れて修行を続けなければなりません。

ほかの人を傷つけない生活を送ること、自分の心を制御する力を育むこと、慈しみと善意を育むこと。このことを実践して実際の生活に生かすことによって、この瞑想の恩恵が得られるのです。日常の生活でこのような種を心に植えて育てる、そして1日2回瞑想をして日々の心の汚れを取り除く。そして1年に1回は10日コースに参加して、より深いところの汚れを取り除く。こうして修行を続けていくことによって、自分のため、人のためにやすらかで和に満ちた幸せな人生を生きられるのです。

参考文献:ゴエンカ師講話の要約集, ウィリアム ハート著

しかし!瞑想を2回続けることは難しく今は1回がやっとです。。ほかの人を傷つけないようには心掛けていますが、心の中からもそうしなければならず、やはり嫌な人のことを思うと「うー」となってしまう自分がいます。嫌なニュースも見てしまったりするし、せっかく種を植えたのに育てられていないのが本当のところです。本当に毎日が修行です。今は、1日1回は必ず瞑想する、悪いことをしない(些細なこと、例えば誰もいない赤信号を渡るとか・・(笑))、近いうちにヴィパッサナーの施設に行って奉仕をする、ということを目標にしています。

読んでくださった皆様へ

ということで、やっとこの体験記も終了しました。

自分が1歩(半歩?)踏み入れたばかりで、ほとんど理解をしていない状態で書いていたので、とても読みづらいものになってしまいました。ヴィパッサナーは難しいし奥が深すぎて、たった1回しか経験していない私では、体験記を書くことさえも躊躇してしまうほどでした。特に最後はまとまりのない文章になってしまい、読んでくださった方に申し訳なく思っています。

でもこんな瞑想落ちこぼれの私でも、ヴィパッサナーという瞑想方法を体験することができ、少し楽になったことがあったことをお伝えしたかったので、文才皆無の中書いてみました。うまくお伝え出来なかった部分も多かったと思いますが(ほとんどかも)、少しでも興味のある方に読んでいただき、行ってみたいなと思ってくれる人が少しでも増えればうれしいです。

最後に

このヴィパッサナーは、本などを読んで自分で実行することは勧められていなくて、この10日間コースに参加して、指導するための正しい訓練を受けた指導者のもとで学ぶ必要があります。そうしないと良くなるどころか、自分を害することになりかねないのです。なので機会があれば(なかなか10日間を空けることは難しいと思いますが)、是非コースに参加してみてください。

ちなみに、女性には大変人気があり、すぐに埋まってしまうようです。毎回キャンセル待ちが出るほどです。もうすぐ春なので、参加するにはとてもいい時期かもしれませんよ!

長い間、読んでいただきまして本当にありがとうございました。心より感謝します。


 

横浜日吉・綱島少人数制ヨガ教室 YellowLotus

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